来年も、そしてこれからも、「がんばっぺし!」 第4回 ツール・ド・三陸

(レポート:ツール・ド・三陸ホストライダー 日向涼子さん)

「走れば、一生、忘れない。」
今年で4年目を迎えたツール・ド・三陸。大会のホストライダーで、第1回から深く関わりを持つ、グッチャリの仲間である日向涼子さんのレポートでお伝えします。

13DSC_3180三陸1「ただいま」と私が言う。
「おかえり」という声が、優しい笑顔とともに返ってくる。

今の私にとって、三陸はそういう場所になっています。

私がホストライダーを務める『ツール・ド・三陸』は今年で4回目を迎えましたが、試走を含めたら、何回この地を訪れているでしょう。しかし、東日本大震災 がなかったらこの出会いはなかったかもしれないと考えると、とても複雑な気持ちになり、実家へ帰るそれとは少し異なります。

1年目は、がれきの山を背に、砂利道を参加者全員が自転車を押して渡りました。

2年目は、がれきがあったところに草が生え、砂利道はきれいに舗装され、一見、復興が進んでいるようにも見えるのですが、少し自転車を走らせれば1年目と変わらない風景に、涙する参加者も少なくありませんでした。

3年目は、突如現れた巨大なベルトコンベアに異質なものを感じつつ、それが「希望のかけはし」と名付けられたことを知り、復興を信じる地元の人達の気持ちを痛いほど感じながら走りました。

そして4年目の今年、『ツール・ド・三陸』応援団長の片山右京さんと、日本人で初めて『ツール・ド・フランス』に出場した今中大介さんが大会に初参加。こ の二人が揃うと、やはり華があります。地元では他にも大きなイベントがいくつか開催されていたにも関わらず、会場の雰囲気や盛り上がりがこれまでとは違い ました。

三陸2 三陸3当日はあいにくの雨でしたが、こぶしを上げて参加者全員で記念撮影。イベント開催に合わせて作成したオリジナルジャージを着用していた方が多いことに驚きましたが、売上金の一部が陸前高田市に寄付をされるということも購入者が多かった理由のひとつかもしれません。

記念撮影のあと、早速、片山右京さんからスタート。右京さんには新設された「健脚マウンテンコース」を走っていただき、今中さん、スポーツジャーナリスト の別府始さん、そして私の3人は、「健脚マウンテンコース」だけでなく「健脚A」「健脚B」コースの参加者とも走れるようにオリジナルコースを走行。群馬 グリフィンの松島伸安さんには「ファミリーコース」を走った後に「子供自転車教室」をお願いしました。

05DSC_3204今年は1200名を超える参加者が走りました。

三陸4「健脚マウンテンコース」とは、なんと過酷そうなコースだろう…と思われるかもしれませんが、ロードバイクであれば、さほど難易度が高いものではありませ ん。しかし、この大会はママチャリやクロスバイクで走る人も少なくないため、それはそれは大変なことだったろうと思います。任期を終え、現在は京都で教鞭 をとられている久保田前副市長が、この日のために陸前高田入りをしてクロスバイクで必死に走られている姿には心打たれました。

山頂で記念撮影をしたあとは右京さんと別れ、今中さん、始さんとともに上ってきた山を下り、健脚A・Bコースと合流します。健脚A・Bコースは、震災の爪 痕が色濃く残る場所でもあります。今中さんや始さんとは仕事で一緒になることが多く、会えば軽口をたたく仲ですが、初参加の今中さんは想像以上に復興が進 んでいないことに、今年2度目の参加である始さんも1年前と変わらない風景に心を痛めておられました。
DSC_3690「おばあちゃんズ」は参加者に大人気!

三陸5その中で、嬉しい「変わらないこと」もありました。

それは、地元の人からもあまり認識されていなかった第1回大会から沿道で応援をしてくれる「おばあちゃんズ」と今年も会えたこと。彼女たちは、毎年とても 可愛らしいコスチュームとデコレーションをしたグッズを手に、参加者の応援をしてくれるのですが、そのパワーと言ったら…!

『ツール・ド・三陸』では、「一緒にがんばろう」という意味で「がんばっぺし」という言葉をよく使うのですが、彼女たちと会うたびに、「まだまだ私も頑張れる!」と女性の底力に励まされています。

これが掲載される頃には92歳になっているのかな。チーム(?)最高齢のキクミさんから「これが生き甲斐だから、絶対に来年も来てね!」と手を握られた時に、「続けていてよかった」「私もまた会いたい!」と強く思いました。

三陸7三陸8エイドステーションでは、変わらぬ笑顔で地元の方々が迎えてくれました。地元の農産物や陸前高田名物のおやき「めぐ海(み)焼き」のほか、なんと今年は第 2エイドステーションの広田漁港で牡蠣が提供され、参加者みな大興奮!ぷりっぷりの蒸し牡蠣と、ほおばる前から磯の香りがする牡蠣おにぎりは、とろけるよ うに柔らかくて、噛めばエキスがじゅわっ。三陸の海が口の中いっぱいに広がりました。

ここでは、再び右京さんと合流。右京さんは震災後の様子を思い出したのか、「いまだ被災した当時のままの建物がある中で、こうやって走らせてもらえるだけで感謝しないとね」と話していました。

『ツール・ド・三陸』は、被災地を走るのが特徴です。リピーターが多いのは、毎年参加をすることでどれだけ復興が進んでいるか、己の目で現状を見ることが出来るという点があるのかもしれません。

人は誰かから必要とされた時に、特に力を発揮すると思います。逆に、誰からも必要とされていないと感じた時には、えも言われぬ絶望的な気持ちになります。

東京にいると「着実に復興は進んでいる」と感じることがあります。メディアでは、国の復興支援などの「復興ぶり」が報道されることの方が多いからです。もちろん、それらは真実であると思います。

しかし、この地域に来るたび浮かぶのは、「復興格差」という言葉。

残念ながら「復興」という点では、『ツール・ド・三陸』開催による影響力は、ごくごくわずかなものでしょう。それでも、毎年沿道の声援に力をいただいてい るように、私たち参加者からも「あなたのことを忘れていませんよ」「私にはあなたたちが必要です」とメッセージを残すことが、このイベント最大の意義だと 考えています。
三陸6私には、夢があります。

いつの日か、復興を終えたこの町が、再び、地元の力で、『南三陸サイクルロードりくぜんたかた大会』を開催することを。そして、その姿を目にすることを。

「ただいま」 この言葉を複雑な気持ちになることなく、素直に言える日が来ることを。

ひとりひとりの力は小さなものかもしれませんが、年々参加者が増えていることを思えば、それらも遠い未来ではないと信じています。来年も、そしてこれからも、「がんばっぺし!」

text:日向涼子